第12章 他者に出会ったとき脳は何をするか
まず、その人物が脅威であるかどうかを判別
その人物の示すアイデンティティのしるしになじみがあることで、見知らぬ人がさほど見知らぬ人に見えなくなる わかりみ。ヲタ繋がりだ。
たしかにこれは分かる気がする。趣味が同じだと勝手に仲間だと思っちゃう
このチラ見会も「同じ本に関心がある」ということで親近感ある
本のタイトルが「しるし」っぽい
「場」に対して親しみを感じたら同じ場にいる人に親近感を感じるけど、まだ親しみを感じてない「場」だと人にも場にも脅威を感じる…それが「しるしになじみがある」ということ?
ニカウさんじゃん
出だしの1行目からもう面白い。「私たちの心はどのように、出会った人のアイデンティティを処理するのか?」
outsider/stranger違いが曖昧、確かに。日本語の意味と必ずしも合致しないなー。
自分とは違う人種のパートナーを持つことは人間的に自然だと思っていた(子孫の遺伝子を強くするとか)けどもしかしたら違うのかもしれない。面白い。
よそ者の奇妙な形の矢
犬が縄張りにおしっこするみたいな感じかな?
部族ごとの識別のために矢じりの形が違うのかな
そうなの!?ってことがめっちゃ多い
人種の違いで注射で刺される映像をみたときの反応が違う
自分の群れの個体にだけあくびを返す
よそ者とみなした人を見ている時と、動物をみている時の脳の活動が同等
見知らぬ人と部外者の違いはとても大きい
確かに混同しがちなのわかる
見知らぬ人はまだ判断ができない、最初に見知った時に部外者かどうかを(無意識に)判断するってことが違いってことかな
この脳の反応が自分が人見知りかどうか判断している違和感なのかな
それなら、人見知りって正しい生理的な反応なんだ
見知らぬ人(ストレンジャー)
よそ者(フォリナー)
部外者(アウトサイダー)
ゼノフォビア
これらの反応を統合すると、人間がもつ固定観念(ステレオタイプ)というもろい建築物の足場が組まれることになる
この言いまわしよ
無意識のうちにすぐ人を分類しようとする反応には、明らかに適応的な利点がある
その前では排除的な反応の話があったのだけど、ダイバーシティとか昨今の流れはどうなんだろうか。
注射針の実験
ミラーニューロンの話っぽい
先日読んだサイコパスの本だと、逆に誰であろうと無反応という話だった
よそ者と判断すると、極端な場合、動物をみるときと同じ脳の状態になる。
わかるし怖い
心は微妙な差異を認めるのを放棄して、人間というカテゴリーから排除する
よそ者≒部外者?日本語だと、部外者の方が、より警戒が高まりそうな表現。(別の社会や文化を持つ場所から来た人がよそ者で、部外者は自分の文化になじみが薄い所から来た人っぽいイメージ)